防空道路(永代通り)
 新川の八幡橋から馬込川の永代橋に通じる幅の広い道である。昭和19年(1944)から翌20年(1945)にかけ、アメリカによる本土空襲が予想される時期に、延焼を食い止める防火帯をつくるため、家屋の取り壊しが行われた。このような努力にもかかわらず、昭和20年6月、市内は大空襲を受けて焦土と化してしまった。
 戦後、この防火帯を利用して道を作ったので、防空道路とか疎開道路といわれていた。永代橋からまっすぐ延びる道であることや、戦後の厳しい時代に苦労して道をつくった気持ちを子孫に伝えようとする願いをこめて、後に土地の人が永代通りと名づけた。道沿いの街灯にも永代通りと記されていて、今は浜松駅南口のメイン道路となっている。

 
 
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